« 世界的宗教学者と人類の未来 | トップページ | 悪魔日顕と宗門の謗法多数 »

2008年5月 7日 (水)

池田先生と常勝関西

自らは権力の魔性と戦いながら、渾身の力で青年を育成していたのである。昭和36年(1961)3月に入ると,会長には、大阪事件の裁判が待っていた。 事件は、昭和32年4月に行われた参院大阪地方区補欠選挙で,一部の会員が引き起こした買収事件と、熱心さのあまり、何人かの会員が戸別訪問し,逮捕されたことから始まった。その選挙の責任者であった池田室長(当時)にその選挙違反を指示したという嫌疑がかけられ、その年の7月3日から15日間にわたって逮捕・勾留されたのである。 取り調べは過酷を極めました。「手錠姿で衆目にさらされるとい
った精神的拷問が加えられました。ついには、学会本部を捜索し戸田会長を逮捕するとまで脅迫れました」昭和36年3月6日,池田会長は大阪にいた。この日、大阪事件裁判の公判が開かれ、戸別訪問関係の審理が始まることになって。弁護団は言った。「無実であっても、検察の主張を覆すことはできない。有罪は覚悟してほしい」と。会長は、無実の嫌疑に対し,断固無罪を勝ち取ってみせるとの決意を語った。会長は、この日午前には第56回公判に臨んだ。翌7日昼には、58回公判が開かれ、会長は連日、3度にわたって出廷した。その時のことが「随筆 新 人間革命」に綴られている。[・・・・ 有罪となれば、当然、会長の辞任を余儀なくされ、学会に大きな傷を残してしまう。師の正義を,仏法の正義を守り抜くには、断じて勝利する以外にない。孤立無援を感じつつ、私は師に誓うかのように言った。「私は潔白です。絶対に無罪を勝ち取ってみせます!」私は、法廷でも,私を陥れようとした検
察側の嘘をば,厳しく打ち破った。一人の検事がみてきたように言い出した。 ー被告が拘置所を出所する日,学会員が検察庁の廊下が真っ黒になるほど大勢押し寄せた。それを,被告が一言命令したら、あっという間に解散した。云々。 驚くべき事実無根の作り話である。では、私が命令したというのは、どの場所か。何人ぐらいの人がいたのか。虚言というものは,いつも、もっともらしく言い放っても、そこには、具体性が欠け,つじつまが合わなくなり,最後は、その嘘が暴かれてしまうものだ。私の質問に検事が口ごもってしまった。私言った。「それは錯覚か,それとも嘘ではありませんか!」真実こそ最大の武器だ。正義の声こそ、邪悪を打ち破る宝剣だ」

4年半後、無罪が証明される。まったくの冤罪であった。断じてゆるすことのできない、正義の指導者に対する権力による、迫害でありました。 朋守龍也

|

« 世界的宗教学者と人類の未来 | トップページ | 悪魔日顕と宗門の謗法多数 »

おすすめサイト」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 世界的宗教学者と人類の未来 | トップページ | 悪魔日顕と宗門の謗法多数 »