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2008年5月 1日 (木)

作家 小浜清志氏と創価学会

作家 小浜清志氏の体験です。ー1960年10月のことである。西表島のジャングルの中をズボンをたくしあげ浅瀬を渡り、たどり着いたという。[この信心は絶対だよ]淡いランプの中で、叔父が力強く断言した。祖父がまず、入会を決意した。反発していた両親も.道理に基づく仏法に反論の余地はなかった。小学四年生であった私にも理解できた。我が家は由布島の一粒種として創価学会に入会した。* 池田先生が第三代会長に就任されてすぐに沖縄を初めて訪問された。奇しくも昭和35年(1960年7月16日)、日蓮大聖人の[立正安国論」を時の鎌倉幕府に提出して700年の佳節に当たっていた。
入会した祖父と両親に,土俗信仰の根強い村人たちは非難、中傷を浴びせた そのうえ、船で二時間はかかる石垣島の地区拠点へ顔を出せるのは3ヶ月に一度。泊まりがけか、船便が悪ければ二泊することもざらであった。が 座談会で語られる、池田会長の沖縄初訪問の指導と励ましのエピソードは、信心間もない祖父と両親の胸に深く染み入り、小学生であった私にも熱く伝わった。沖縄は かって歴史的に不幸な島であった。とりわけ、もっとも、虐げられてきたのが八重山、宮古を含む先島諸島 の人々であった。「一番苦しんだところが一番幸せになる権利がある」 池田会長の励ましは その宿命の鉄鎖を断ちきる力となった。
祖父は信心を貫き、七年後見事な成仏の相で旅立った。高校二年生になっていた私は、常に泰然としていた祖父の姿と成仏の相を重ね合わせ、信心の偉大さを実感した。 師匠とともに祖父のようにな無名の人たちが築き上げた早創の歴史は、誰が中傷しようと、消すことはできない。
池田先生が小説「人間革命」の筆を起こされた沖縄。作家への挑戦を初めてから、挫けそうになった時、私は沖縄出身者であることを最大の励ましとして進んできた。10余年の歳月をへて故郷の由布島を舞台に祖父の姿を描い作品で新人賞を受け、作家デビューを果たすことができた。 朋守龍也

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